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読んだ本の感想とかアニメとかマンガとかゲームとか無節操にいろいろ書きたい。
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被虐児という単語に漠然とした興味(≒好奇心)を持ってて、それって人としてどうなのと自問自答している今日この頃です。嘘です、だいぶ前からです。ランドセルの贈り物のはなしを聞いた時は割と本気で感動したよ。

なんも考えないで描いたらリヒャ父(の、つもりなんです)の手がセクハラちっくな位置にきてしもうた。
リヒャルトとお父さんの話をいつか描いてみたい、なんて思いながらだいぶ長いこと過ごしてきたのですが、リヒャ父像がいまいち掴めないのと、自分がリヒャルト好きすぎるおかげで思うように描けないままです。ヴィルヘルムさんはリヒャ父のことを頭がおかしかったなんて言ってるけど、案外冷静な人だったんじゃないかなー。でないと、2、3歳の子供をボコ殴りにしながら育てるなんて器用なマネできないよ。絶対途中で死んじゃうよ。おそろしい。

前回の記事が内容薄味だったのは、正月気分の抜けきらない時分にこんな殺伐とした話題はどうかと思って削った結果でした。え?いつも内容なんてあって無いようなものじゃないかとか言う声は聞こえないですよ?
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初夢はおもしろい夢をみるぞ!と気合いいれて寝てからここ数日間ずっと内容の濃ゆい夢をみるので早くも疲れてきました。なんか財布ひろったり転校したり忍者になったり妖怪退治したりでいそがしかった。ミューラーさんはなかなか夢にでてきてくれません。リヒャルトは過去に1回だけ出てきたことがある。ちなみに最多登場回数の著名人はラーメンズの片桐さんです。

今年もなんだかんだでリヒャとかミューとか言ってばかりの1年になりそうな予感。
アンデルセンの「人魚姫」がひとつに繋がってる魚の下半身から、ふたつに裂けた人間の足を手に入れたのは処女喪失の暗喩ではないかという話で思いついたのが、「リヒャルトのミューラーさん依存症も一回やることやっちゃえば治るんじゃない?」という…いいや、やっぱこれ以上いうのやめとこう。あとなんとなくリヒャルトって口でするの好きそう…いやいやなんでもないです。
普通になかよしだと思うよ。



ヴィルヘルムさんはミューラーさんの見てない隙にリヒャルトにあれやこれやと悪そうな遊びを教えてはミューラーさんに怒られるという姿がありありと思い浮かびます。たのしいひとだ。

たのしいひととか一言でまとめちゃったけど、そんな言葉じゃ表しきれないくらい懐の深い人物でもあるとおもいます。ひとに優しくするにはひとより強くならなくちゃダメだって誰かが言っていたけどヴィルヘルムさんは本当に優しくて強いひとなんだと思う。だからこそミューラーさんもリヒャルトもついてくんだろうな。うん、まぁリヒャルトにはミューラーさんしか見えてないんでしょうが…。

ぶっちゃけリヒャミュのあのエピソードがなかったら幻想水滸伝5の中では隊長が一番好きです。


話はとびますがアンデルセン童話を改めて読んでみて『一つの莢から出た五人兄弟』に大変感銘を受けたというか、ツボにはまって大変です。正直なはなし、ずっとアンデルセンって夢見がちなオッサンぐらいにしか思ってなかったのですが、訂正します。むしろ土下座します。あのひとすごいや。その『一つの莢〜』も、最後の最後までは子ども向けの話にありがちな展開だったのですが、本当に最後の1行で溝が発した言葉にずぎゃーんって話の内容全部もってかれました。超むねキュンです。侮り難し溝。なんのこっちゃわからないかたは一度読んでみるのもいいのではないでしょうか。そして「お前のツボはそんなところにあるんだな…」って蔑んでくれたら幸いです。うそです。キライにならないでほしいです。
冬物のコートが毛玉だらけになってた上に裾がほつれてベロンベロンでした。古着で安かったやつだからなぁ。でも持ってる服の中で一番あったかいんだよなー。本格的に寒くなるまでに新しいのみつけるなり修繕するなりしないとなぁ。

「・・・ボクはもしミューラーさんに裏切られても平気だけどな。

あの人、いつも殴るとか殺すとかそんなことしか言わないから。」
リヒャルトの台詞、実はこれが一番好きだったりします。あんまりひとつの発言に対してあれこれ解釈を並べるのは野暮っていうか自分が恥ずかしいから避けてるんですけど、この台詞についてはチラホラ「意味わからん」という声を聞くのでちょっと自分なりの解釈をば。

これは信頼していたはずの人から裏切られて傷心の主人公に向けた言葉ですが、結局その人の行動は主人公たちの行く末を案じてのものだったことが後に明らかになる。もちろんその時はそんなこと知らん人々は口汚く罵るわけだけど、リヒャルトが言いたいのは「自分の思う通りにならないからってそんなすぐ嫌いになっちゃうの?」ってことだと思います。その人にはその人なりの考え方があるのだから、一見自分に不都合な行動を起こしても、信じると決めたのなら最後まで信じぬくべきではないのか、みたいな。好きな人のことなら逐一把握していたいという気持ちが普通ならありそうなものですが、独占欲の欠片も持ち合わせていなさそうなリヒャルトだからこそ言える台詞だと思います。うしろ半分は普段からミューラーさんにはバカだの死ねだの言われ慣れてるから裏切り行為だっていつもの調子で嫌われたなどとは微塵も疑わないよってことかなぁ。なんだかんだで愛されているという自覚があってこそですね。まぁ逆の意味で「例え嫌われていてもミューラーさんなら許そう」っていう考え方もなきにしもあらずってところが恐ろしいですが…。

正解不正解はわからないので「こういう受け取り方もありますよ」ってことでお願いします。

どっちにしろそういう「どのような選択でもあなたの選んだ道ならば祝福しよう」って姿勢は幻水1のテオと坊ちゃんのようっていうか、それ親目線の考え方ですよね。基本的に保護者×被保護者の関係が好きな自分なのですが、リヒャルトとミューラーさんは気がつくと立場が逆転してるからまったく一筋縄じゃいかない人達だなぁと痛感するのです。

あと興味なさそうな顔しておいて、離反こそしたけれどその人は主人公のことを嫌いになったわけじゃないというのを見抜いているかのような発言をするリヒャルトは案外人を見る目があるのではないかとか考えてよくうひゃーとか言ってます。それなのに差し入れられた毒入りのお菓子をためらいなく食べちゃったりするあたり、本当にあたまのよわいこなのだなぁって思います。こりゃミューラーさんも苦労するワケだ。うひゃー。
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